「山をひとつまるごと城にせよ!」
天下統一を目前に迫った織田信長が家臣に言いはなった言葉である。
現在の安土城の姿を見るべく、私は5月の初めに近江八幡市安土町へと行ってきました。
城と言っても今は木が生い茂り、石垣ぐらいしか残されてはいませんが、近年の発掘調査によって今までの城にはない奇想天外な造りであった事が近年明らかになってきたようです。
まず、入り口から一直線に伸びる石段に度肝を抜かされます。通常、敵の侵入を阻むために、なるべく曲りくねって細く道は作られますが、大手門からの道は幅6メートルと広く、180メートルも直線が続いています。これは、信長が安土城を軍事面より政治的な機能を優先させてこのような道になったと言われています。その道の両側には豊臣秀吉や前田利家など家臣の屋敷も連なっていたらしい。さらに、上へ登っていくと本丸へと続いていきますが、途中の石段の所々に仏像の石が使われているのが興味深い。築城途中に石材が足らなくなったという説や無神論者である信長が仏教弾圧のためにやった説など、はっきりは分かっていないみたいです。
安土山は標高192メートルの小さな山ですが、整備されているとはいえ、凸凹の石段を登るのにけっこう体力を使います。夏場に行く際は覚悟がいりそうだ。しかし、山頂からの眺めは、ふもとの田園風景や遠くに琵琶湖を望めて気持ちのいいものでした。
さて、この山頂に天守(安土城では天主と呼ぶ)があったわけですが、その礎石が今も残っていました。よく見ると中央部の一つだけ礎石が欠けていて、その部分がちょうど『吹き抜け』になっていたのではと言われています。そこには仏教の宝塔が立っていたと推測されています。
今でこそ新築やリフォームなどで『吹き抜け』は人気のようですが、日本で初めて『吹き抜け』の住居に住んでいたのは織田信長だったようです。ちなみに通常、天守では実際生活する場ではなかったんですが、信長は実際に天守で生活していたそうな。
下山の途中には仁王門と三重塔があり、これは築城当時から今に残る貴重な建築物のようです。
そして下山した後は近くにある『安土城天主 信長の館』にも行ってきました。ここには1992年に開催されたセビリア万博の日本館で展示してあった安土城の天守5,6階部分の復元をそのまま展示してあります。その他、当時の安土城の全体像のバーチャルシアターなども上映されていました。後で思いましたが、この博物館に行ってから安土城跡を登ったほうが、当時の城郭をイメージしながら登れたので良かったと思います。
最後に、この当時としては奇想天外な安土城、本能寺の変からわずか12日後に焼けてなくなります。原因は謎のままで、もし今も城が残っていたならば世界遺産は確実だったでしょうね。みなさんも戦国ロマンにあふれ、織田信長のパワーも感じられる安土城跡へ訪れてみてはいかがでしょうか。
安土城址の行き方:JR琵琶湖線安土駅より徒歩30分(駅前にレンタサイクル屋あり)
スタッフ 國富
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2015/05/28